2019-07-14

youtube閉じました



 先日ラグドールという猫を飼いまして「アダム」と名づけました。とてもかわいくて、
カトリックでの嫌なこと、訴訟まで起こそうとしたこと全て帳消しになりました。
とてもかわいい。目を閉じれば半年前の嫌な事ばかりがリフレインされていましたが、
今は目を閉じればこの子の体調管理や表情、いつも同じベッドで寝ていること、甘えん坊なところ、全てが愛おしくてニマニマしています。それで私のyoutubeチャンネルですけど、もっとよりよいものにしたいと思い、全部非公開にさせてもらいました。
また再開するときは、もっとより良いちゃんねるになることを目指したいと思います。


2019-07-10

天の国のたとえ






天の国のたとえ

天の国は次のように例えられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。

マタイによる福音書13章44節

土の中は外部と断絶する。宝物、すなわちこの場合は神にとっての宝物、「私達」のことである。この天の国の例えは全貌を語ろうとはしない。ベルクソンの純粋記憶もこの土の中に埋め込まれていると言えるだろう。これは反復した記憶ではなくこれは自発的な記憶―純粋記憶である。当時は銀行等が無かったので大切なものは土の中し隠していた。これは俗のものであり、反復記憶といえるだろう。神が愛している「私達」という存在は純粋記憶である。しかし、哲学で天の国を語ると、哲学自体が概念のために砂を救ってこぼしていくようだ。イエスの語ることは概念を超えているからこそ価値がある部分がある。人間には到底辿り着かないような気がする。キラリと光るもの、それを買うときは値段なんてものは関係のないのだろう。


2019-07-07

ラグドール






ラグドール買いました。名前はアダムです、かわいすぎてたまりません。

2019-06-30

類稀なる誠実な病 今後の方針



 実話を元にしているという事を伏せる方向性に決めました。事を起こしてから8か月経ち、理由は私自身が忘れたくなったからです。一生この出来事が付きまとうかと思うと、それこそ憂鬱です。そしてこんなテーマに頼らずとも大きなテーマを見つけたからであります。本来、この作品は本来は長編で続きがあり、その続きこそが大テーマでした。訳あって序章に過ぎない作品を売ることになりました。決断を下したのは事を起こしてからまだ時間が経っていないころでしたので、私としても判断力がありませんでした。まだ、600部程度の売り上げなので、今後、説明文を変えたいと思います。但し、bookspaceという会社から出版されている分は、会社にもう人がいないのか、出版停止を何度も催促しても一向に返信が来ず、そのまま販売となっています。本来はオンデマンドで紙の印刷となる予定ですが電子書籍での販売だけという詐欺まがいな営業をしていて、こちらは大変困っていますので責任を持って会社の管理ぐらいしてください。

2019-06-18

類稀なる誠実な病 今後の広告について




  元々、これは長編の予定で完全フィクションにするつもりでした。しかし、私の
病状の回復に目途が立たず、事実が主に絡んでいる序章部分で切って短編でとりあえず出すことにしました。この話にはオムニバス形式ですが続きがあります。別タイトルとして、それを第四、第五と出していくつもりで、第四、第五の方向性の影響で、第三作が私小説的だという事実は消えていくことでしょう。現段階では私小説と告白しなければ、重みがないテーマです。

 今の私の病状としては、二年前に誤診で双極性障害と診断され、一つの薬で楽になったかと思えば、その薬の血中濃度が濃くなり、また胸が苦しくなるのでそれを抑える薬をもらいと、薬が次第に増え、結局は副作用で苦しいのは変わらないという結果になりました。今は離脱症状で苦しいけれども、薬飲んでも変わらなかったし、かえって症状が悪化したと振り返り、今を耐えています。まず寝すぎなのが悩みですね。後は胸が苦しいというのが困っていますが、ちょっとしたきっかけで治ったりするので、まず医者が言うように病気のせいで苦しいというのは無いと思います。明らかに離脱症状です。

この何週間かパソコンに向かうのもきつかったのですが、今日の夜は出来ましたので
ご報告だけ。


2019-05-21

誤解(カミュ)






私は、30万相当の人形を騙し取られました。前回の人とは違ってまた別件のことなので誤解しないでください。その人は「死んだ子どもに似ているから譲ってほしい、けれども経済的につらくて安価で譲って欲しい」と言われました。私は急いで送りましたが、相手が想像と違うと激怒し、返金してくれ、嘘つき、この人形を処分すると言われました。人形を住所に着払いでいいから返してほしいと言いました。返金を先にしろとのことでしたのでしました。でも相手からの返信はそれっきりです。

当然、人形は返ってきませんでした。

私は詐欺にあったようです。

このような事情があったために、もうブライスを譲ってあげることは出来ません。
ですのでメールも返信しません。このメールはあくまでも小説用の仕事依頼のメールですので。


今回の人生のテーマは「詐欺」のようで、カミュの「誤解」という作品に出合った。この本はカミュ全集の2巻で、カリギュラとシーシュポスの神話だけ読んで、「誤解」は読んでいなかった。家の本棚にあるくせに、他所の本屋で見つけたかのようにタイトルだけで惹かれて読んでみた。そしたら偶然にもまた「詐欺」の話だった。

この話は旅行者を泊めては殺して川に流して賃金を得るという阿漕な事を繰り返しているマルタと母親の話。将来的には阿漕なことから足を洗い、金を貯めたら太陽の当たる国へと行きたがる。しかしこの家族には、もう一人家族がいて、マルタの兄に当たる人がいる。彼は真面目で外で成功し大金を得るが家族を驚かせようと他人に成りすましたばかりに、この親子の餌食とされてしまう。

「ええ、もうこの心を持ち歩くのはいや。いろいろな疑問も太陽が焼き尽くしてくれる、そんな国に早く行きたい。ここは私の住むところじゃないわ」
「私だって自分の家があると思っていたわ。罪こそわが家だ、この罪こそ母と私を永久に結びつけてくれるんだと思っていたわ。私がこの世でほかにいったいだれを味方にできて? 一緒に人殺しをやったものでなくて?」
「聞きたいとおっしゃるなら言いましょう。誤解があったんです。世の中のことを少しでもご存知なら、驚くこともないでしょう」

人はありとあらゆる詐欺を働き、色んな嘘をついて近づいてくる。
それを想像出来ることが社会人経験であり、
そんな不条理な中に自分はどんな立場に置かれているかどうかを知ることが
「社会性」である。


―――私ごと―――
薬を飲んでいないと、鈍らされていた感性が戻っていく。無理して明るくならないから、形がない印象でも言葉で拾い上げることが出来る。例えば「不幸」とか、印象に過ぎないものも拾い上げることが出来る。薬は飲まないほうがいいようだ。しばらく飲んでるフリをして、捨てていこう。(薬を絶った理由はfacebookにあります)

届かない手紙


                            届かないP神父へ




「類稀なる誠実な病」について。

600部売れました。しかし、kindleという販売方法はまだ日本では主流ではなく、
ペースは遅いです。これからどうなるか分かりません。

 作品を出す経緯は、他に力を見たいからもう一つ作品を出せと言われたからです。疲労困憊している私に、事を起こしてしまった私にとっては、判断力もなく書くしかありませんでした。けれども自殺未遂とは、あまりにも辛い経験でしたので、私は最終校正には参加していません。私は今はあの作品を読み返す力はなく、これからあの作品がどうなるのか会議にも参加出来ません。このままでは責任感が問われるので、私も精神を立て直すところです。

私は途中でこの原稿の完成を放棄しています。それほど、辛い選択でした。評価は賛否両論で、貴方をクズ野郎と言う人が増えました。貴方は最低で読むに堪えなかったという意見が多かったです。逆に同じカトリック教会で支持している教会もあります。カトリックではあり得る痛みとして処理するようですね。貴方方神父はカトリックで司祭として崇拝されているかもしれませんが、無宗教、日本の基準で見れば貴方は最低だということです。けれども、今の私には貴方が最低だったかどうか、判断出来ません。良い思い出もあったからです。しかし時間の経過とともにそれも風化しつつあります。今は最低という記憶しかございません。

修道会に貴方への謝罪の手紙を書いたことも、周りからは余計なことをしてと叱咤を受けました。私のこれは最後の貴方への信頼でした。貴方もつらいだろうと思った私の考慮でした。しかし、何だかバカにされたように修道会からも返信はありませんでした。私の周りは貴方は悪いとなんて微塵も思っていなかった、見に行ってくれた知人は、貴方は何事もなくミサで笑っていたと言いました。楽しそうにビールも飲んでいたと言っていました。それも良いでしょう。あなたが人間の善として欠落しているだけです。それに、すべて通り過ぎてみれば、すべての不幸は印象に過ぎず、儚いものでしたね。

私は今から精神を立て直そうと思います。消えてしまった信仰はサマリアの女のように、私の汲んだ水を飲んでくれるイエスを探すことにします。

そして本当に貴方が最低であったのかどうか、周囲が言うように、私を欲で手に入れて邪魔になったから切り捨てたかどうかを、静観して知っていこうかと思います。それによって復讐を考えていません。カミュの不条理のように、人間の醜さとしてありのまま次回作に使わせて頂きます。私はもう憶測だけでは動けないのです。真の闇と真の光を知る必要があります。


あなた方はイエスに倣うと言いながら、守っているのは独身生活だけであり、
ビールは飲み放題で豪遊して、世間的な常識も得ず、聖書しか知りません。
聖書しか知らないということは何も知らないということです。
人間を知らないということは何も知らないということです。私が如何に信仰が剥ぎ取られたのかも想像できないのは、もうイエスに倣ってなんかいないのです。人がどれほど傷つくのか想像できなくなれば、既に悪人なのです。聖職者として値しない。いつまで
笑っていられるでしょうか。


貴方が最低だったとしても、私にはもう関係ありません。
私が相手にしているのは、神父というような小物ではありません。
もっと壮大な「神秘」というものです。

第三作「類稀なる誠実な病」を今後どうするのか、9月までに精神を立て直し、
手直しするところは手直しし、作家として責任を取って世に出していこうと思います。

鏡月 玖璃子