2018-02-13

L'Étranger(異邦人) 



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Et c’était comme quatre coups brefs que je frappais sur la porte du malheur.

(そしてそれは、僕が手荒く四回、不幸の扉を叩いた音でもあった)

Camus, Albert. " L'Étranger " (French Edition)  異邦人より。

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内容は今回はPDFです。
異邦人の批評。
宗教(キリスト教・カトリック)
哲学(サルトル)
文学と三方向から書いたので、
PDFになりました。暇なときにでもどうぞ。

PDF

https://drive.google.com/file/d/174d_Vxm6IBzaQMoUcsI37_WXIUea5zjI/view?usp=sharing




2018-02-05

 The Childhood of a Leader ②




 「何が少年を独裁者として変貌させたのか」



というのがこの映画のキャッチコピーでしたが、この答えを探しに行った人は残念ですが、結論として答えは無いのです。サルトル流で言えば、「虚無」ということになります。

「何が少年を独裁者として変貌させたのか」とは、意識に目を向けさせていますが、
サルトルは意識というより、「存在」に目を向けた哲学者です。

サルトルで有名なのが、「即自」と「対自」です。これは元々はヘーゲル哲学のものでした。
即自とは、意識の自体的な在り方であり、対自とは、即時的な意識が対象化されたものであります。このキャッチコピーはヘーゲルの対自を意識しながら、少年という即自を探させるように見えます。


しかし、実際はこの映画はサルトル哲学の配下です。サルトルの即自と対自は「存在」に目を向けています。サルトルの場合は、即自とは物のような在り方であり、対自とは、自己否定をし自己を改革することであり、人間のことを指します。


少し深く掘り下げるとすれば、即自というのは、客観的な意味や価値の付加によってしか存在が浮かび上がってこない存在、対自というのは、価値の付与が根本的に無関係な在り方をさします。

ここで、私達現代人は心理学を多少なりとも知っていますので、疑問に思うわけです。即自も人間じゃないか、客観的な意味や価値の付加で人間は浮かび上がってくるし、対自についても、価値の付与なんて根本的な無意味なわけがない、人間は評価されたり、過去の分析をして人格を見られるじゃないかとか、色々あると思いますが、「独裁者」「死刑囚」の場合はそうとは言い切れないのです。いくら、過去にトラウマがあって誕生したとしても、その過去に同情することが出来ない。存在として悪しき者として括弧に入れられます。独裁者には特に「対自」というものが合っています。


それこそカミュの「異邦人」の死刑囚ムルソーのように。


問題に対して予め、用意された原因があるわけでもないというのが「虚無」です。
もしかしたら、サルトル以外で考えればこの少年の因果関係は見つかるのかもしれない。
けれども、ここはサルトル世界なのです。サルトルは感情について心理学に頼ろうとは
しなかった。

あるのは、独裁者になるまでの「現象」。






2018-02-04

朗報②








日本看護協会出版会の「教養と看護」という特設サイトにて「魂の世話」というテーマで連載をしています瀧本 往人様よりIcon o graphの評価を頂きました。瀧本様は哲学の講師ですので、こちらは哲学的な評価です。お忙しい中、ありがとうございました。とても感動する書評でした。




評価はこちら→

https://drive.google.com/file/d/1WzZ1Uuo1R5CAIi1hF8WX1xiCu-Pe7prI/view?usp=sharing


Icon o graph 案内はこちら→

http://chriskyogetu.blogspot.jp/2016/07/icon-o-gprah.html

Offret-Sacrificatio














「人は何故、常に為すべきことばかりなの?」
 タルコフスキー・「サクリファイス」
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 物語の始まりは、アレクサンデルが細い木を植えるところから始まる。このときの彼の幼い息子への語りはこうだ。「正教会の修道院の僧が枯れかかった木を山裾に植えた。ちょうどこんな木だ。そして同じ修道院の若いヨアンに、この木が生き返るまで水を与えなさいと言った。ヨアンは毎日、山を登り水をやった。そして三年後に見事にこの木に花を咲かせた。一つの目的を持った行為はいつかは効果を生む。儀式のように順序よくやれば、
いつかは世界は変わる」と。

アレクサンデルの息子は口が利けない。

 アレクサンデルは死についてもこう語った。「死なんて存在しない。あるのは死に対しての恐怖だけだ」その後に友人で医師であるヴィクトルの家を訪ねる。そこで色々と語っている間に核戦争の非常事態の知らせがくる。死を自覚したヴィクトル家はパニックに陥る。まるでアレクサンデルが独白した通りのことが次々と起こってくる。その後に一番パニックになった夫人が落ち着いた後に言った「人は何故、常に為すべきことばかりなの?」が今の私には胸に響いた。こんな死の淵に立たされても生きている限り、人間は常に為すべきことを意識しなければならない。
この台詞が生きてくるまでの映像表現が素晴らしかった。



2018-01-20

お勧めの本








お勧めの本
①「フランス・オペラの美学」
オペラは昔は低俗なものだった。リュリとキノーが自分達の音楽劇を「悲劇」と呼んだところから、劇詩と比較され、貧弱さが指摘される。オペラの眠たくなるようなところも改善しそうな一冊。とても面白いので是非。
②「イマージュの肉」
見えるものと見えないもの、中心的主題である「肉」の概念を再考し、世界の現実を知覚と想像の両面で捉える(帯より)存在哲学の基礎にかえりながら、光への愛について、宗教的価値観、各々の精神世界にも問いかけてくる名著。

③「新約聖書」ギデオン協会版。
これはホテル等で無料で置かれていて、自由に持って帰ってもよい。自殺防止用とも言われるこの聖書は、確かに短く区切られていて、傷心のときにホテルの部屋で一人で読んでいると、すんなりと頭に入ってきたので凄いと思った。それで、この一冊はお勧めしたい。非常に読みやすい。

④「シャネルNo5の謎」
以前も紹介した本。(facebookのみ)私は最近、調香師に凝っていて特集を見つければ必ず読むようにしている。存在していない香りを作り出し、トップノート、ミドルノート、ラストノートとストーリーを作るかのように、移り変わる香りを生み出す彼等は天才であり、小説に映画にと駄作が増えるのに対して、香水の新作作品は、俗の世界のようで孤高の美の創作を見せつける。香りにまつわるキリスト教や、文学まで触れ、香水は贅沢品だとは言い切れないと思わせる一冊。


***ただ本を並べるのも芸がないので、イメージに合うのを載せてみました。オペラのところは、ヴェルディの「リゴレット」(原作:ビクトル・ユゴー)の道化の帽子をイメージしました。可愛いでしょう? 

2017-12-31

黎明(2016/05/09)


イエスはトマスに言われた。「あなたの指をわたしの手に当てて、あなたの手をわたしのわき腹に入れなさい。信じない者でなく、信じる者になりなさい」トマスは答えて「わたしの主、わたしの神よ」と言った。イエスはトマスに言われた。「私を見たから信じたのか。見ないのに信じる人は幸いである」 (ヨハネの福音書 20:27-29)

 私がキリスト教を意識したタイミングを話すと長くなるのですが、恐らく今までで大きな意識なら四回ありました。細かいことをいれると七回ぐらいなのかな? 意識しては忘れての繰り返しでした。今回は二回目の十代の頃の話です。 昔は絵を描いていて、デッサンとかは訓練みたいなものなのですが、自由創作となるとテーマを自分で考えたりします。まだ十代と言っても高校生になる頃になると大人と同じ賞に応募したりしました。

そして頭打ちしたのはテーマと描写力がついていけないということでした。想像力が自分の力量に合わせるしかなくなるのでイメージに妥協が生まれます。それなのに、人間の脳というのはおかしなもので、その妥協が妥協に感じなくなっていきます。絵 に関しては完成と感じたことが無かったのではないのでしょうか。賞を取れたら嬉しいのですけど、思い入れがある作品が無くて毎回戻ってきたものは捨てていました。そういうものがあると、そういう自分に愛着を持ってしまって成長出来ない気がしていました。

よく他の人に「何を考えて描いてるの?」と言われていたのですが、 実際には今と比べるとこの頃は確かなことなんて考えていませんでした。誰かに説明出来ないことや自分でも分からないものを抱いていたもので、対話相手がキャンバスです。「言葉にならないことを書く」ということ、それを才能と捉えるか未熟と捉えるのか、私は後者でした。
そんな私が何か勉強がてらに模写をしようと選んだのが古典作品達で、デッサンの練習のために選びました。画材は木炭と鉛筆で、カラーではなくてモノクロでやりました。モノクロにすると色で目移りしていた情報や錯覚が整理されるので私は好んで練習していました。模写をした中で印象に残ったのはカラヴァッジョの「聖トマスの懐疑」です。よく知らないまま形だけを捉えて描いていたのですが、描いてて楽しかったのはトマス のこの疑っている目でした。

現象学と巣









去年に出版したイコノグラフは私の想像と経験の結晶ですが、蓄積となった書籍はこんな感じ。現象学は、主にフッサール。ハイデガーは遅れてのスタートだった。日本語だと難解な言葉が多いことから、ドイツ語版、英訳版のみで連想を重視した。日本語版ではあまり持っていないものが多く、作品に登場したウンディーネとサロメもそうだったりする。フランス語版、日本語版と両方手に入れたのはシモーヌヴェイユぐらいかもしれない。

ベルクソンは日本語ですね。他の書籍は
Kindleに入っているので紹介は全ては
難しい。


一体、何の書籍を紹介すれば自分の作品がより分かるのだろうと、探していたら
今年の8月に、丁度良い本が出ていたので
購入した。
今作は、キリスト教要素を散りばめながら、私の思考の糧となったのは「現象学」だった。
あまり言い過ぎると、読者を混乱させるかもしれないのであまり言えないところだけど、
この一冊は今作の哲学要素を深く知りたい方にはおススメかもしれない。

「現代現象学」
経験から始める哲学入門
富山 豊・ 森 功次 著。
新曜社

ただ、わたくし
やはり小説家なので、詩情を優先に、
「鳥の巣」に魅入ったということしか
言えないものですね。


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