2016-12-31

Incomplete wisdom






「不完全な知恵へ」
****


うめきつつ求め、上昇のために手さぐりする悩める不完全な知恵に対して、私達は自分が真理を持っているという喜び、あるいはむしろ自分が真理を受けいれたという喜びによって無感覚であるべきだろうか?

――シモーヌ・ヴェイユ著・神を待ち望む・ペラン神父の序文――



****
「神を待ち望む」とは彼女が信頼していたペラン神父がつけたタイトルであり、ヴェイユが一番好きだった言葉"en upomèné"(耐え忍んで)」(ルカの福音書8:15~)から導かれたものである。ヴェイユの死後、ペラン神父がこの本を出版することになるが、この「真理を受け入れたという喜びによって無感覚であるべきだろうか?」とは、はこの出版に異議を唱える人々(自分達は真理を持っていると思っている信者)への彼の「レトリック」である。
この本は彼が言うように、疑いようもない霊的文学としての美を備え、確かにキリスト教としては議論の余地があるものである。彼はそんな中でもヴェイユを天才的な聖者と称え、この「魂の意識」を皆によく知らせたいとした。ペラン神父は先見性を持っていて、これからのキリスト教外の価値観とどう向き合うかにも視野に入れていた。その上でヴェイユ独自の宗教観への指摘もあるからこそ、この本は出版出来たのかもしれない。この二人の対話は
まさしく、神を待ち望む姿そのものだった。
****
私は数年前にこの本の二人の姿勢の美しさに魅入られ、「悩める不完全な知恵」というものを「上昇のため」と認めてくれた顔も知らないペラン神父に憧れを抱いている。 このように顔も知らない者、文章だけで愛せるという力があるということは作家にとっては必要なものだと思っているので恥ずかしいとは思わない。何故なら作家自身が文章だけで虚構世界を表現し、愛されなければならないからである。
心理学上、一番人間が感情を表現しやすいものは「顔」であり、次は「声」だと言われている。「顔」や「声」にも頼ることが出来ない文章世界は、一般的には表現しにくく、受け取り側も困難なツールとされている。過去に私は、文章世界を見てほしいと思っている者がテキスト世界の聖書を読まないということや、否定するということは矛盾に値するのではないのか?ということに気づいた。
それから聖書世界は私の中で「在るもの」となった。信じる信じない以前に、打ち消すことが出来ないものとなった。私は恐らく、作品の中で聖書の引用を消すことはしないだろう。
その熱は動力とも壁ともなるものでもある。
そんな私にとって「不完全な知恵」という言い表し方は涙を誘うものがある。それはこの決意が本当は辛いからなのか、感動しているのか、感情の理由は分からない。彼の言葉に掴まれることによって私の魂が「上昇」を夢見ているということに気づかされたのか、私も肯定されたいという欲求が故なのか、彼の言葉が神の優しさのように思える。
****
前置きが長くなりましたが、この写真はチェスプレイヤーのボビー・フィッシャーがカストロ議長と話している写真である。(カストロ議長はトーナメント前にフィッシャーに横槍を入れている)ボビー・フィッシャーもまた天才であり、チェスの神聖さに魅入られ数奇な運命を辿っている。今年もハッキリと分からなかった一つが、ボビー・フィッシャーの定跡は「何故美しいのか」ということだった。
色んな人の定跡の動画を見ていて「これは綺麗な進み方だなぁ」と思ってると、大体がフィッシャーだったりする。出回っているのが綺麗な定跡のみなのかもしれないけれども、中々このようなものは出会えない。彼は今でもチェスプレイヤーにとって憧れの存在(天才)である。
何が完全なるチェスなのかは分からないけれども、美しいというのは理屈よりも先に訴えてくるものがある。惹かれているのは単なる写真の構図なのか、チェスを政治的利用にされることに対して抗議するフィッシャーの「情熱」なのか、この二人の対峙のように見えるこの一枚は、まるで映画のワンシーンのように熱を帯びている。但し、熱があるのはフィッシャーだけで、カストロの手の脱力感を見れば分かるように、彼らはあまりフィッシャーを相手にしていない。その中でも刺すようなフィッシャーの視線が気に入ってしまい、私は時々この写真を見るようになった。
楽譜理論も哲学(知を愛する)にも惹かれたりするのだが、ペラン神父やヴェイユ、チェスなどに「何でこんなに好きなんだろう」と振り返ることがある。
分かるのは惹かれるものとは、「無感覚ではいられないもの」だということだ。
無感覚でいられないものは、愛せずにはいられない。
維持や忘却も含めて愛は静止することを知らず、愛するということは情熱が必ず付き纏う。
情熱を持つということは、フラットな地面を只管走ることだけなのだろうか? 私にとって情熱とは魂が上昇を欲しているような気がしてならない。気がつけば身体を忘れて熱だけになりそうになる。けれどもその熱は生きている間は発散されず「耐え忍んでいる」のかもしれない。 
(2016・12・29メモ)

2016-12-30

Joyeux Noël et Bonne Année !






HAIL MARY

Hail Mary, full of grace, the Lord is with thee.
Blessed art thou among women, and blessed is the fruit of thy womb, Jesus.
Holy Mary, Mother of God, pray for us sinners, now, and at the hour of our death. Amen.




2016-12-24

Hope










****
“Because you do not understand Japanese,
regrettably I cannot show you,
but my novels have a reputation that my writing style is beautiful”
****
英訳本出すためにクラウドファンディングをする予定で準備中。
成功する可能性は低いのはわかっていて、パフォーマンスの一つとしてやろうと思っています。(youtubeでも100回投稿して、100人ユーザーがつくかつかないかとか、100人超えたら1000人まで早いとか色々聞きますが)
勿論、自分達に関係の無い英訳化にお金を出してくれる人なんていないので、日本のサイトじゃなくて海外のサイトに登録するつもりで、紹介は英語になります。
日本語の分からない海外の友人に時々、冗談で上記のような事を言うことがありました。すると、「いつも綺麗な話をしてくれるよ」と返してくれました。そういうことを言われる度に期待することは、もしかしたら工夫次第で通じるかもしれないということ。 
****

Angel






350:Angels are spiritual creatures who glorify God without ceasing and who serve his saving plans for other creatures: "The angels work together for the benefit of us all"

訳:350:天使とは、たえず神の栄光をたたえ、他の被造物に対する救いの計画に奉仕する霊的被造物です。「天使は、わたしたちが有益になるすべてのことに協力します」
****
カテキズムの好きなところは「天使」についての記載があることでもありました。天使について考えるということ、若い頃なら「痛いメルヘン」扱いで周囲から疎まれそうなところを、哲学として、学問として扱えるようになることは本当は子どもの頃からの夢だったのかもしれない。 
いつから形而上学に興味を持ったのか、哲学が好きだったのか、現象学が好きなのか、聖書が好きなのか、人には言わなかったし、自分でも無自覚なものがあったり、例え言っても、頭が足りないと思われるような話し方しか出来なかった。
 
文章世界で成長するということは、未分化で未発達、そのような若い頃の歯がゆさや欠点を長所に変えていく毎日だったのかもしれない。
それでも、たとえ丁寧に天使を書いたとしても、言説化されたものは色んな色眼鏡で見られてしまうかもしれません。願わくば、天使の彫刻を彫る人のように、天使の彫刻を何の疑いもなく美しいと言われるように、自然に扱われたい。

天使の像を見つめることは、私の希望の「具象化」なのです。
****
*英訳しか持ってないので翻訳は私ですので、多少表現の違いがあるかもしれません。


     




2016-11-29

DIE GROSSE STILLE(Into great silence)






カトリック教会の中でも特に戒律が厳しいカルトジオ会に属するフランスの男子修道院、グランド・シャルトルーズの内部を、初めて詳細にとらえたドキュメンタリー。ドイツ人監督フィリップ・グレーニングが1984年に撮影を申請、それから16年の歳月を経て許可がおり、音楽・ナレーション・照明なしという条件のもと、監督ひとりだけが中に入ることを許された。監督はカメラを手に6カ月間を修道院で過ごし、俗世間から隔絶された孤独な世界で決められた生活を送りつづける修道士たちの姿を、四季の移ろいとともに映しだしていく。(大いなる沈黙へ・解説引用) 


音がないからこそ、聴こえてくるものがある言葉がないからこそ、見えてくるものがある(解説書より)




2016-11-27

The Childhood of a Leader








映画に行った感想/ネタバレ含む)

「シークレットオブモンスター」
The Childhood of a Leader.2016年11月25日公開





2016-11-24

info







①"What is extracted from inside of us in front of mystery?
 Is it a pure heart? Or is it a reflection of ugliness of ourselves?
 I really fear the latter mystery.

(omit)

 I want to be happy and satisfy my mind."

***

②“Your answer has always some deep meaning. 

When I am with you, I understand everything. 

I feel as if I am freed.”

by Chris Kyogetu


***

今、書いている脚本(舞台用)の一部を少し英訳。
ある原作を元に制作しているのですが、少し紹介。

①完全オリジナル台詞 ②元々ある台詞を一部変更

どの作品なのか、
また纏まったらホームページに載せます。

では皆様、良い週末を(まだ木曜日ですが)

2016-11-15

Agape

    



  Icon o graphについて。
キリスト教映画プロデューサーからお褒めの言葉を頂いたところです。「構造上、アガペーを持ち込むには難しいところを大したものですね」と言われました。
そうなのです。アガペーから離れていくような難しい構造を作りながら私は物語中盤にマタイの福音書の13章を選びました。(各自調べてください)

マタイの13章、神の御言葉(蒔かれた種)が育つための条件とは……小説の中の少年はこの章の朗読の説明(説教)の途中で教会を出てしまいますが、その時の司祭は少年の存在に気づいています。

                   *

時々、日本人はこんな事を言います。「日本ではキリスト教は育ちにくい」と。確かにそうかもしれません。今となっては「現代では失われている」と世界中で言われているかもしれません。それは組織としての大成が難しいというのはありますが、やはり司祭の何気ない視線のように、愛は注がれていると私は思うのです。


現実世界では神への夢想や、イエスが通り道だということを知らなくても、イエスを知る者も各々の「自覚」いうものは「真実」とは別にその人の体系の中に形成されています。現実世界で言葉や誰かの権威で神を消すことも出来ませんし、また同様に神を皆に理解されることは不可能でしょう。


小説の中というものは作家の意思(意志)次第で神を消すことも虚無も生み出すことも出来ます。現代の小説は読者の自由が約束されながらも、神の有無は著者が決められることです。それなのにどんなに決めていながらも、読者は著者の決定には従えないものです。(時々、キリスト教を批判している作家の作品でさえも研究者は本当は聖書からヒントを得たんじゃないかと、関係無さそうな文章を分析したりするのですから)
結論として、小説家は言語だけでは神の有無の「存在」を操れないと知るでしょう。


                   *
 言語とは気分と感情によって読まれるものです。気分と感情が無ければ読むことが出来ません。けれども、それらによって話の重要度が人によって変わってしまいます。それに更に感じる勘であったり、推測であったり心理を読もうとすれば言葉以上に事実に近づくこともあれば、離れることもあります。 そこが面白いところでもあり、中身が理解されないところなのです。


小説は心で読むとも言われたり、特に感情に加わり、その人の想像によって読まれることが多く、読者はその独自の想像力によって文章を読み進んでいきます。それを知りながらも私は、一見アガペーを持ち込むことが難しい話を書きました。 その設定としてフィクションでは凡庸になってしまっているテーマを集めました。恋の設定も死の設定もその一部でしょう。更に、ギリシャ神話、大覚醒時代の文学、問題作品扱いとなった文学、天文時計と外界(人の歴史として)に在るものを用意しました。


 それから現実の「私」について。私は確かにイエスを信じていますし、アガペーも自覚があり、それなりの神秘体験があります。イエスを通して、私の感性は成長し、哲学の歯車は動いているでしょう。それはあくまでも私の内部世界であり、それを取り巻く思索や思考なのです。 これが正しいと人に押し付けたら社会性を疑われるでしょう。このように仮にも「私は知っている」という事実があったとしても、世界にとっては一個人の内部なのです。


(私は洗礼を受けてから二年程度しか経っていませんが)信者同士だからと言っても感情の共有の絶対性は約束されていません。教会に行けば良い出会いもあれば残念な出会いもあります。そして信仰とは弱い人が助けを求めるために入ると思われがちですが、実際に弱かったらやっていけないということです。助けもあれば自立も必要とされます。盲目の模様、嘘つきの模様、そして美しい模様、教会には様々な模様を描いている岩のようにあるのです。私は、そこで静観することを覚えました。そしてそれでも「在る」と感じるものを瞬きと共に知ることが出来ました。(岩とは私の詩情です)
 私が避けたかったのは、物語の中で登場人物の一人だけが信仰を持ち、その人の内部を見つめる傍観者を作ることです。それとイエスを知らない者が悪人になったり、非情になったりするというのも避けましたし、登場人物達を神学や哲学の傀儡にしないように気をつけました。今後の作品ではどうなるか分かりませんが、今回はそうするべきだと思いました。


それにキリスト教徒ならこれは強く持たなければなりません。知らないところでも、神の愛は育っているということです。自分の「覚知」以上の世界を自覚することです。ですので私は敢えて宗教色を強くしようともしませんでした。


私の内部世界がどう思索や思考、そして想像力への動力となり、外に触れることが出来るのか、毎回私は試されます。私の作品は常にそうだと思います。 


* *但し、前半部分からアガペーはあります。小説として明確であるか無いかの違いです。

2016-11-06

nest











―――鳥の巣の営みを人間の例え話(詩情や比喩に)使おうとすることは早計である。鳥の営みと人間の生活とはまるで違うからだ。よく巣を観察すること……
そして、断言出来ることは
現象学者は必ず鳥の巣に
惹かれるだろう。―――
*****
これはあるフランスの哲学者の話(仏語版・訳は掻い摘んでいます)です。
最初にこれを読んだときは入院中のときで、心には来なかった。それなのに数年後、書きかけの自分の小説と繋がることになる。気がつけば、彼の予言通りに私は鳥の巣に惹かれることになった。

自分の信仰とは別に、色んな人の話を聞いて回った。聞いただけではなく、「経験」という小世界を形成してきた。そんな自分が目指すのは、「原稿」であり、小さな生命を育てている。まるで自分は鳥の巣を作る鳥のようだと気づいたのだ。そしてこの小世界は鳥の巣と同じように永遠では無かった。

営みと言ってもすれ違ってしまったこと、
愛であると疑いたくなかった繋がり、
そういったものもあった。
人間の営みは
鳥の営みに例えることは確かに早計なのだ。


鳥の巣の成り立ちは神学と哲学、世界の内面を繋ぐとき、人間の感情や言葉では足りないものを上手く纏めてくれていると私は胸を時めかせた。


「鳥の巣」これこそ人々が重ならないものを固めた「詩情」なのだと私は疑わなかった。


鳥の巣はあまりにも精巧に作られていて人間が似たような草木を集めただけでは作ることは恐らく出来ないでしょう。いつも図鑑や非売品のショーケースから見つめるだけだったけれども、漸く本物の鳥の巣を手に入れることが出来ました。(イギリスから来たそうです)

*****
今回の小説は「営み」や「愛」を結論とすることは容易ではない
テーマを選びました。だからこそ、この鳥の巣の営みと人間の例え話を並べることが出来ないということに結びついたわけです。
心臓部分となるものは冒頭にあるとおり「愛の裏」であり
造語までした「栄巣」ということです。
*****


*羽はカラスの羽です。(ワタリガラスではありませんが)完成してから数日後、木の葉が揺れる音と共に空から降ってきたのを取ったものです。とても嬉しくて、必ず取らなければならないような気がして、私はヒールで走って手を伸ばしました。
*暫くは少しだけ動物の匂いがしましたが、今はもうしません。
壊れやすそうなので気をつけて撮影しました。どんな風に撮影するのか実はまだ良いアイディアが無くて、とりあえずこんな風に。
あんまり出したりすると壊れそうなので、もっとアイディアが纏まったときに新しく撮影するかもしれない。(巣:セキレイ)
◎鳥の巣を買った店→http://www.piika39.com/

走った靴(プラットフォームパンプス8~9cm) 

この記事は作品を読まないと分からないように書きました。









2016-09-29

Alice in wonderland



不思議の国のアリス(Vladimir Clavijo
















何か書かなきゃなぁなんて思いながらも気力が無い状態で、旧ブログ(閉鎖しました)で
取り上げた話題から取り合えず載せていって、温まった頃に何か書こうかなと。



サイト→http://www.clavijo.ru/en/gallery/alice/view

2016-09-28

火星の砂時計




最近になって〈すやまたけし〉の「火星の砂時計」という話を知りましたけれども、これは面白いですね。紹介では学校の教科書に載っていたとあるのですけれども、私は国語の教科書は光村出版だったせいか覚えがありません。よく転校していたのですが、国語だけは自分が行った学校は全部、光村だったので覚えています。


****


火星は軍神マールスの神話に始まり、戦いや情熱の象徴でもあります。地球の外側にある惑星の中でも最も近い存在で、多くの作家を1800年以降魅了し続けている。

主人公は砂時計を見つめながら、遠くに文明を探そうとし、生きている間には見つからないだろうと思っていた。

そんな彼に「私たちは滅びたが,私たちの精神はこの赤い砂の中に生きつづけている」と火星人は情熱と信念を持ち続けることについて語る。


戦いや情熱といったものが砂時計の中に閉じ込められて、三分という時間を流れていく。


時間が過ぎ去るということは、消えていくということとは違うというのを形に見せてくれるのは砂時計です。流れた分だけ積もっているものですね。

 
この火星の砂時計は現実では存在出来ないものだけれども、レプリカでもいいので欲しいかも。


(火星の砂時計)

2016-09-06

google+



google+にお気に入り動画・音楽を登録していくことにしました。リンクだけ貼っていくだけですのでフォローはご自由に。トークはしません。

2016-08-10

Mystery and pure







Because of pureness, obliged to confess.

Because loving mystery, try to protect the secrets.

How shall I express things that are contained ?



Chris Kyogetu




曲は何となく選択しましたが、
モーツァルトK310・Ⅲpresto
フリードリヒ・グルダ演奏


2016-07-17

Icon o graph




「走れる靴と、走れない靴


私たちは愛の裏で動いていた」


Icon o graph 

発売しました。


amazon.comから順次発売

 https://www.amazon.com/Icon-graph-Japanese-Chris-Kyogetu/dp/153493037X/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1468688909&sr=8-1&keywords=chris+kyogetu


amazon.co.jpでも取り扱いになりました。
https://www.amazon.co.jp/Icon-O-Graph/dp/153493037X/ref=sr_1_1?ie=UTF8&qid=1468776277&sr=8-1&keywords=153493037X


紀伊国屋
https://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-02-9781534930377


barnesandnoble

http://www.barnesandnoble.com/w/icon-o-graph-chris-kyogetu/1124114276?ean=9781534930377




あらすじ(英語版のみ 後書きつき)

https://drive.google.com/file/d/0BxNLSoqVr3MzWTRoU1RCb0JtNEE/view  (Japanese)


https://drive.google.com/file/d/0BxNLSoqVr3MzbXB6Y2hBZUF1X1U/view (English)




試し読み


https://drive.google.com/file/d/0BxNLSoqVr3MzNXB3QVRlcEQwbkk/view


(keyword) 走れる靴と走れない靴、時を知らされない部屋と、時に決められた部屋。生の飛躍、 自由な魂、ウンディーネ、青を知らない女の子、QOL、祈りのための茨の棘、自己犠牲、悪しき母たち、 赦し、生長、変容、白夜、落ちた巣、天文時計、シモーヌ・ヴェイユ、占星術師達、 魅惑に満ちた混乱、最高の現象、時が人格を持つ、神話の実現、最先端医療、 不在への期待、オーディンの渡鴉、ベツレヘムの星、修理士、選ばれた部品、ロザリオリング、 栄巣、営みへの期待、刺繍、サロメ、硝子盤、羅針盤、解放、詩情のようで現実
(順不同)

「生かされていることや生きていること、信じていること、私達それぞれ違うこと、それらが一致を夢見て、離れてはお互いに締め付けながら、茨のように締め付けあいながら巣を作る」

栄巣(p278)


栄巣とは造語です。 秋頃、kindle版発売予定








2016-07-14

Dear









  I made a promise that I will post once I found the answer. Since he preferred my page structure and images, I wanted to finish it in a beautiful way. I was thinking to create the content in English, and to send Japanese in a letter. Because I wanted all this to be done after the publication is completed,  it took a long time for answering. This is the part of English translation. Since he was a person who understands English, 

I would like to do like this. I am so sorry to be in a way like this.  
He is my friend.
                                                                                            (Chris Kyogetu)


Click to enlarge this picture.
















 








2016-06-29

info




次回作の発売に向けて、ホームページのデザイン変更しました。
発売したら、デザインやページが少し加わる予定です。


→ homepage



2016-06-20

info




*お知らせ*


次回作のproofが出来ました。
まだ他にも色々準備があるので、
発表・発売予定は2016年 7月になりました。
よろしくお願いします。

詳細は後ほど


Chris Kyogetu

2016-04-30

my favorite

 




Experience - Ludovico Einaudi by Angèle Dubeau & La Pietà






Ludovico Einaudi - Time Lapse - In A Time Lapse





Nils Frahm - Ambre



my favorite



Mozart Piano Concerto No.23







Mozart -Piano Concerto No 23 A major K 488, Maurizio Pollini, Karl Bohm







Mozart Piano Concerto No.23 Movement 2 (Horowitz)


特に二番が好きです。


2016-04-23

memo201604









前回のゴッホついでに

映画「気狂いピエロ」(Jean-Luc Godard)で
「ゴッホが耳を切る決心をしたカフェを見た」
というのがあったのですが、実際のところ夜のカフェテラスという絵画はそういう場所だったのでしょうか?誰かご存知の方は教えてください。



ゴッホは独立した点や短い線を連ねて描くのを好んでいて、彼が一筆づつ細かく筆を重ねたのは色が混ざらないようにしただけではなく、精神の高揚を伝えるためだった(E・Hゴンブリッチ)そうです。


彼がアルルから出した手紙に、「時に感情があまりにも昂ぶり、絵を描いているという自覚がなくなってきている」というのがありますが、この一文は私も十代の時に何かで読んで、作品を作っているときって(この時は絵画)そうだという実感があって、今でも(小説)変わらないかもしれない。



私はこの映画のゴッホの台詞が印象的で、感想としても、この男女が最初は協力し合っている愛し合っている男女のようなのですが、最後は女性が裏切るので混ざり合わない関係だなと、ゴッホの絵みたいだなと思います。アンナ・カリーナが細くて美しいので綺麗な一筆の色みたいだなと思えるところがあるかもしれません。


****


あと、個人的なメモですがゴッホの人生ってモーツアルトのK550の曲のようだなと思うのです。甘い旋律と情熱的な音の印象だけれども、ト短調の中に隠せないペイシズム。自分にとってはゴッホってこんな感じなんて思います。(ゴッホの世界観とモーツアルトの貴族のような音とは相反しているようなのですが)完全にこれは音だけで選んだ選曲なのですが、K550の成り立ちを見てみるとそこまで間違っていない気がしました。


是非、興味がある方は調べてみてください!


あとは「envie(望み)にはvie(人生)がある」とは
気狂いピエロの台詞です。envieとはどちらかというと
「欲しい」という意味じゃないかな?
皆様、良い週末を。
K550
https://youtu.be/2HbMzu1aQW8


(C) 1965 STUDIOCANAL IMAGE./ SOCIETE NOUVELLE DE CINEMATOGRAPHIE / DINO DE LAURENTIS CINEMATOGRAPHICA, S.P.A. (ROME) - ALL RIGHTS RESERVED.